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福岡地方裁判所小倉支部 昭和50年(ワ)744号 判決

原告

足立義則

右訴訟代理人

高木健康

塘岡琢磨

被告

福澤康行

右訴訟代理人

筒井義彦

主文

一、被告は原告に対し、金五、〇四八、六四〇円及び内金四、五四八、六四〇円に対する昭和四九年五月二〇日から、内金五〇〇、〇〇〇円に対する昭和五五年六月六日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを五分し、その四を原告、その余を被告の各負担とする。

四、本判決第一項は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金五七、五六四、九七〇円及びこれに対する昭和四九年五月二〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1項につき仮執行の宣言。〈以下、事実省略〉

理由

一被告が肩書住所地で福澤耳鼻咽喉科医院を開業している医師であり、原告が両慢性副鼻腔炎(慢性篩骨・上顎洞炎)、肥厚性鼻炎急性増悪症、両慢性中耳炎(両上鼓室化膿症)で昭和四六年八月二一日から被告医院に通院して治療を受けていたことは、当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すれば、

1  昭和四七年五月二日の夜原告は妻敬子に注意されて自己の左眼が充血していることに気づき、翌三日には痛みを感ずるようになつたが祭日であつたため、同月四日原告は以前二、三回治療をしたことのある北九州市八幡西区東神原町七番二〇号所在山本眼科医院(山本脩一郎医師)の診察を受けたところ、左眼の目頭に近い球結膜部分に軽度の充血があり、その部分にフリクテンが認められたので、フリクテン性結膜炎の診断の下に洗眼・投薬を受け、睡眠・栄養を十分に取り過労を避け、なお通院治療を続けるよう指示された。しかしそれ以外には眼に異常はなく、視力も左眼1.2、右眼1.0であつた。

2  五月六日、左眼の痛みがますます増強してきたので、原告は再び山本眼科の診察を受けた。その時右フリクテンは殆んど消失していたが、左眼内嘴部の球結膜に軽度の浮腫ができていたので、山本医師は、右症状は単なる眼疾患ではなく鼻性のものではないかと疑い、原告に対し鼻疾患の有無を尋ねたところ、原告は副鼻腔炎で被告医院に通院治療を受けていると答えた。そこで山本医師は、直ちに被告に対して電話をかけ、原告の左眼の異常が鼻疾患に起因すると思われるので診察して欲しいと連絡し、即日原告を被告医院に赴かせた。被告は、レントゲン撮影を行い、その結果は八日に説明すると述べて、当日は普通の鼻洗浄を行つただけで原告を帰宅させた。

3  五月八日、原告は被告医院に赴いたが、その時の眼症状は、左眼内嘴部の球結膜に浮腫があるばかりでなく、右眼の球結膜にも浮腫(但し充血なし)が生じており、強い眼痛を訴えていた。他方被告が六日に撮影したレントゲン写真では、両側篩骨洞と上顎洞に強い炎症(陰影)が認められたので、被告は原告を入院させ午後六時頃から本件手術を行つたが、術後の両眼視力は正常で発熱もなかつた。

4  ところが翌九日の朝には、原告の両眼が異常に腫れあがり自力開瞼は不能の状態で、普通の副鼻腔炎の手術後の腫れとは明らかに違つていた。その後も両眼の腫れはますます増悪していくばかりであつたので、不安になつた原告が五月一〇日頃被告に対し近くの総合病院である厚生年金病院の診察を受けさせて欲しいと申し出たが、被告は、原告の眼症状が本症ではないかと疑いながらも、「面子があるからなあ」と言つてこれを拒絶し、自院で原告に対し抗生物質及び栄養剤の投与等を行うのみであつた。

5  そこでやむなく、原告は五月一二日に山本眼科の診察を受けたが、その時には顔面全体が腫脹し、特に両上下眼瞼は極度に発赤腫脹緊張し、眼痛激しく、結膜浮腫が瞼裂にはみ出して全く開瞼不能の状態で、山本医師としては根本療法を施しようもなく、洗眼・点眼等対症法を施しただけであつた。

6  被告は原告が山本眼科で右の程度の治療しか受け得なかつたことを知りながら引き続き原告を被告医院に入院させ、その間原告は五月一六日と一八日に山本眼科に赴き対症療法を受けたが、副鼻腔炎の手術患部が治癒したのに両眼瞼の腫脹はますます増悪するので、山本眼科の勧めで同月一九日八幡製鉄所病院で受診・検査を受けたところ、既に両眼共失明しており、その原因は本症であると診断さた。

以上の事実が認められ〈る。〉

三ところで原告は、被告が昭和四七年五月八日に本件手術を行つた際に、副鼻腔と眼窩の境にある紙状板に損傷を与えたか、又は手術器具等の消毒の不充分若しくは副鼻腔内に炎症を起こしている化膿性の細菌が眼窩内に入らないような充分な消毒をしなかつた過失により、原告の両眼窩内に細菌が侵入し本症となつたものである旨主張するけれども、右主張の如き過失を認めるに足る証拠はない。却つて、〈証拠〉を総合すれば、原告の両側副鼻腔に原発する炎症性疾患が本件手術前に既に両眼窩内に波及し本症が生じており、その増悪過程において本件手術が行われたものと認めるのが相当である。

次に原告は、原告の本症が重篤になり遂に両眼失明にまで至つたのは、被告が原告に対し手術後五月一八日まで専門的な治療を受けさせなかつた過失にも起因する旨主張するので、この点について判断する。

一般に、医師が患者の容態から自己の専門外の治療を必要とすると判断した場合には、他の相当な専門医の協力を求め、或いは転医を勧めることを検討すべき注意義務があり、これを怠つて右専門医に要求される程度の適切な治療をしないならば、治療上の過失があるものというべきである。これを本件についてみるに、前記のとおり、本件手術の翌日である五月九日の朝には、原告の両眼が異常に腫れあがり自力開瞼は不能の状態で、普通の副鼻腔炎の手術後の腫れとは明らかに違つていたこと、その後も両眼の腫れはますます増悪していくばかりであつたので、不安になつた原告が同月一〇目頃被告に対し近くの総合病院である厚生年金病院の診察を受けさせて欲しいと申し出たが、被告は、原告の眼症状が本症ではないかと疑いながらも、自己の医師としての面子を理由にこれを拒絶し、自院で原告に対し抗生物質及び栄養剤の投与等を行うのみであつたこと、原告はやむなく同月一二日に山本眼科の診察を受けたが、その時には顔面全体が腫脹し、特に両上下眼瞼は極度に発赤腫脹緊張し、眼痛激しく、結膜浮腫が瞼裂にはみ出して全く開瞼不能の状態で、山本医師としては、洗眼・点眼等対症療法しか施し得ず、同月一六日と一八日にも同様であつたこと、しかし被告は原告が山本眼科で右の治療しか受けていないことを知りながら、引き続き原告を被告医院に入院させていたこと、原告は同月一九日八幡製鉄所病院で受診・検査を受けたところ、既に両眼共失明しており、その原因は本症であると診断されたことが認められるところ、〈証拠〉によれば、本症は連鎖球菌、ぶどう状球菌、肺炎菌等の細菌が眼窩内に侵入し、亜急性又は急性に眼窩の組織に化膿性の炎症を起こす疾病であり、治療方法如何によつては失明や死亡という重篤な障害をもたらす恐れが大きく、被告自身もかような医学的知織は充分習得していたが、前記のような症状を呈する患者を取り扱うのは初めてであつたことが認められるのであるから、耳鼻咽喉科の開業医である被告としては、原告の本件手術後における異常な眼症状が本症ではないかとの疑いを抱いた遅くとも五月一〇日頃の時点で、本症の右特性及び原告の症状の程度に鑑み、原告に対し人的・物的な医療設備の充実した総合病院への転医を勧めるべき注意義務があつたものというべきである(ちなみに北九州市内には充実した設備を有する総合病院が多数存在することは公知の事実である)。しかるに被告は、同日頃原告から近くの総合病院である厚生年金病院の診察を受けさせて欲しいとの申出を受けながら、自己の医師としての面子を理由にこれを拒絶し、自院で原告に対し抗生物質及び栄養剤の投与等を行うのみであり、且つ、原告がやむなく受診した山本眼科では根本療法を施すことができず、洗眼・点眼等対症療法を施すにとどめていることを知りながら、引き続き約一週間に亘り原告を被告医院に入院させていたのであるから、被告には右の注意義務を怠つた過失があると認めるのが相当である。

そこで進んで、被告の右過失と原告の両眼失明との間に相当因果関係があるか否かについて検討するに、〈証拠〉によれば、一般に副鼻腔に原発する炎症性疾患が眼窩内に波及して本症が生じた場合の予後は悪く、二、三〇パーセントは死亡するが、生命をとりとめた場合でも殆んどが視力障害を残し、その半数近くが失明若しくは視力0.01に達しないとされていること、原告の本症は稀にみる激症型である疑いが強いため、本件手術後早期に適切な治療を施したとしても、失明を免れ得たとは断定し難いことが認められるので、被告の前記過失と原告の両眼失明との間に高度の蓋然性をもつて相当因果関係を肯認することは困難である。しかしまた、右各証拠によれば、原告の本症に対し本件手術後早期に適切な治療を施せば、両眼の視力低下を0.01程度にとどめることは、さほど高度とはいえないまでもなお相当な蓋然性をもつて期待できたものと認められる。

そうだとすれば、原告の両眼失明が被告の過失に全面的に起因するとはいえないけれども、原告が右失明により被つた損害のうち或る程度の分は被告の過失に起因するものとして、被告がこれを賠償すべき義務を負うものと解するのが、損害の公平な分担という損害賠償制度の理念に照らして相当であり、右の程度については、以上認定の一切の事情を参酌して、一〇パーセントと認定するのが妥当であると考える。

四進んで、原告の損害のうち被告の賠償すべき金額について判断する。

1  入院中雑費 金三四、四四〇円

〈証拠〉によれば、原告は本症治療及び中途失明者用訓練のため、昭和四七年五月一九日から昭和四八年一二月一三日まで五七四日間八幡製鉄所病院に入院したことが認められるところ、その間一日平均金六〇〇円の雑費を要したことは経験則上容易に推認される。右雑費は合計金三四四、四〇〇円となるが、そのうち被告の賠償すべき金額は金三四、四四〇円である。

2  逸失利益 金三、三一四、二〇〇円

原告が新日鉄製鉄所の従業員であつたが両眼失明のため昭和四九年五月一九日に退職を余儀なくされたことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、原告は、当時三三才であつたので、右失明事故がなければなお三四年間は平均的な労働者として稼働することができたのに、失明のため労働能力を全部喪失したことが認められる。そして、原告本人尋問の結果及び当裁判所に顕著な労働省作成「昭和四九年賃金構造基本統計調査報告」(賃金センサス)第一巻一表によれば、右期間における原告の予想収入の年間平均額は、全国男子労働者の平均賃金額(昭和四九年度は金二、〇四六、七〇〇円)を下まわることはないと認められるので、右平均賃金額を基礎として、民法所定年五分の中間利息を年毎式ライプニッツ法により控除し、右退職時における逸失利益現価を算定すると、左記算式のとおりであるから、被告の賠償すべき金額は金三、三一四、二〇〇円である。

2046700×16.1929=33142008

3  慰藉料 金一、二〇〇、〇〇〇円

〈証拠〉によれば、原告は、眼疾患治療のため本件手術を受けたのに、結果は予期に反し両眼失明の状態に立ち至り、将来三〇年以上も盲人として苦難の生活を強いられることとなり、失明後盲学校で勉強し針灸按摩師の免許を取得したものの大した収入も期待できず、妻敬子の准看護婦としての月額十数万円の収入で糊口をしのいでいる状況にあり、その肉体的精神的苦痛には深甚なものがあると認められるけれども、前記の如き被告の賠償責任の程度を参酌すると、右慰藉料としては金一、二〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

4  弁護士費用 金五〇〇、〇〇〇円

弁論の全趣旨によれば、被告が以上の損害を任意に賠償しないので、原告はやむなく本件訴訟行為を弁護士に委任し相当額の報酬を支払う旨契約したことが認められるが、本件訴訟の難易度、請求認容等を参酌すると、右のうち金五〇〇、〇〇〇円は被告が賠償すべきものと認められる。

五叙上の次第で、被告は原告に対し、以上の合計金五、〇四八、六四〇円及び弁護士費用を除く内金四、五四八、六四〇円に対する本件不法行為の後である昭和四九年五月二〇日から、弁護士費用金五〇〇、〇〇〇円に対する本判決言渡の翌日から各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるので、原告の本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用し、なお仮執行免脱の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(谷水央)

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